まっくらになった窓の向こうに優雅にきらめく東京タワーが見える。久しぶりに東京の夜景をじっくりと眺めた。 今日は残念ながら残業だけど、恋人とふたりで見たら素敵だろうなぁ。たまにはパパとふたりで、とかね。 そんなことを考える余裕がやっと出てきた。
前のエントリで、かなり、ネガティブなことを書いたら、うちの UX50 が機嫌を悪くしたらしく、電源が入らなくなる不具合再発。今度こそ、SONYタイマーの発動か?(とほほ。。。)
いつも密かに楽しませていただいている右脳部屋の右脳先生が、英語版Palmを日本語で使う というページを公開されています。頭が下がるなぁ、と思いつつ、でも、英語版を日本語化してまで使いたい新規ユーザーって、そうそういないよねぇ、とも思ってしまう自分がいるのでした。
今のCLIE ユーザーで、次のPDAとして英語版Palmを選択した人で、かつ、今までオンラインソフトを自分でインストールできていた人には、ものすごく役に立つコンテンツなのは間違いなくて、そういう人のひとりである紫野にとって、ありがたーいコンテンツではあるのだけれど、日本語化の作業って、かなり高いハードルなんですよね。技術的にどうこう、というのじゃなくて、大方は心理的なハードルなんですが。
紫野は、けっこう古くからPCを触ってきた部類に入るので、IBM PC/AT互換機が DOS/V を利用することで日本語化してきた歴史とか、HP200LX などがコミュニティーによって日本語化された歴史とか、自分もリアルタイムに経験してきているので、Palm が日本語化されてきた歴史をリアルタイムで経験してなくても、英語版Palm を日本語化する作業に怖気づいたりはしないのだろうけど、そういうタイプは、もんのすごく少数だよねぇ、と(苦笑)
結局、これから新しくPalm に触れる人は、今まで以上にめっきり少なくなるし、このまま行けば、日本で Palm 機が勢力を盛り返すことはもうない、ってことなのだと思います。万が一、Palm OS を搭載したスマートフォンが日本で発売されたとしても、それが爆発的人気を得るとは思えないです(<あくまで、買うのはヲタク系でしょう)。悲しいけれども、きっと、そうなってしまうんだろうな、と考えてしまいます。
この1年、会議に次ぐ会議、打ち合わせの後に研修会講師、そのたびに場所を移動、なんて生活をしていたので、UX-50 は PDA として、めっちゃ役にたってくれていて、日常の必携ツールだったのですが、そういうスケジュールで暮らしている人も、また、数少ないんですよね。 紫野だって、基本的にずっと自分のデスクで仕事ができた頃は、PDA としての UX50 をそんなに利用したわけではなかったですからね。(<それ以前は、テキストビューワーとしての UX50 に惹かれていたわけで。) ごくごく一般的には、居間のカレンダーに予定をメモしておけば、それで充分って人のほうが大多数だと思います。
結局、心理的ハードルを越えさせるだけの動機がないということなんでしょうね(ヲタク心は除く)。 PDAって、そうまでして使わなければならないものじゃないから。一度、実用品になれるかもしれない夢を見てみたけど、やっぱり、嗜好品のまま。 携帯電話は、出始めの当初は嗜好品の色が強かったけど、いまじゃ、実用品だものねぇ。(今じゃ、ブランドとかステータスになりつつあるんだけどさ。)
今日も冷えているけど、春はもうすぐですね。
昨夜の雪が積もっている朝。子供たちははしゃいでいるけど大人は朝から雪かき中。
まぁったく、迷惑だっと言うのに来るのよね。効果があるから下火にならないのだろうけど。想像力の乏しい輩は好きじゃない。
ソニー、クリエの新機種投入を終了〜現行機種は7月末まで生産
あらら〜。またしても撤退の話題です。今度は「CLIEの新機種はもう出しません」という話。順次、現行機種が生産終了になる中、新機種が出るのか、それとも撤退なのか、と訝っていたのですが、つまりは撤退ですか。あ〜あ。
今の UX-50 が使えなくなったとき、次にどうするかを真面目に考えないといけないですねぇ。紫野的には、PalmOne の Treo(もちろん、携帯機能が使える状態で)が発売されたら、買うだろうと思うのですが、携帯として使えない Treo や、Tungsten シリーズだと、買うかどうか分からないって感じです。どうも微妙。Zaurus 買うなら、もうちょっと、小さく、軽くなってくれないと嫌だし。
いっそ、PSP に走るか。。。?
今発売中のAERAに載っていた記事なんですが、かなりきました。
紫野のところもお春ひとりなので、実家のジジババがなにかとプレッシャーをかけてくるわけです。これは、いろんな理屈がくっついてはいるけれど、本当のところ、理屈じゃないのだろうと感じるわけです。自分の遺伝子が絶滅するかもしれないという危機的状況なんですから、そりゃ、必死でしょう。本当は旦那方のジジババも、できたら言いたいところなんだろうなぁ…と思うとえらく痛いです。
で、多分、きっと、その気持ちって、年をとらないと分らないのではないかとも思うのです。肉体的に自身の死をリアルに感じないと分らない気持ち。でも、本人がそういう年齢になった時には、もう生殖可能な年齢じゃない、と。想像すると痛すぎます。。 年をとると忘れちゃう気持ちと年をとらないと分らない気持ち、絶望的に重なり合わないのね。
まあ、今までの自分を否定するような発言をされたら、いくら親だって(というか、親だから)反発しますよねぇ。とはいえ、女性の場合、人生80年と考えたら、生殖不可能になってからの時間もかなり長い…。なんだかなぁ……、なのでありました。
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