今朝のお嬢との話題は、大阿蘇(三好達治)。
「馬が蕭蕭と降つてゐる」とか、「もうもう(濛濛)だったら牛だろ」とか。お嬢は改変ネタを好みそうだ…。
お嬢があんまり欲張りなこと(ゲーム買えとかマンガ買え)を言うもんで、「なんて強欲なんだ!」といったら、「わたしがグリードなら、ママはスロウスじゃないか!」と反撃された。 「なんだと!やるときゃ、やってるじゃないか!」と言い返したら、「そうだよ。だからスロウスじゃんか」と。
へいへい。どうせ、いつも「めんどくさい、めんどくさい」って言ってるわよ。
※ このネタで、「おまえはリンかよ!」とか「穴なんか掘ってねーよ」みたいなヤリトリが、しばらく続いたのであった。
もしも原子が見えたなら|お母さん、火って何から出来ているの?
この話題は、我が家でも水のケースで出た。 我が家では「水は三人家族でお嬢とパパとママで仲良しなんだ〜」と説明したら、しばらく「酸素は両手〜、水素は片手〜」とかやっていた。 酸素は手がふたつで(両手で)ぎゅー、炭素は手が4つで(両手両足で)ぎゅー、とやったら、すごくウケていた。で、やっぱり、しばらく、「酸素やって〜」とか言ってくっついてきていた。
後日、鋼がどうやってできるか?と言う話になった時は、「炭素は鉄よりも酸素と仲がよいから、じゃあね、ばいばいーって鉄を振っちゃうんだ」という話になり、ゲラゲラ笑っていた。
※ そんなお嬢はヘタリアも気に入っている。
成熟のために (内田樹の研究室)
自分自身と家族と共同体を存続させることのほうを自分の主義主張より優先するべきだ、とは思っているなぁ。できれば、周りの人間も同じ優先順位で動いてくれるといいなぁ、とも思うなぁ(苦笑)
生き物が生まれてきたのは生きるためだから、ぶっちゃけ、それ以外のことはオマケでよいのかもしれないと思う。(まぁ、機嫌よく過ごせるほうがその逆よりずっとよいが。) この世界は、どうしようもないどうしようもなさで満ち満ちているけれど、それでも、人は生きていくのだ、兎にも角にも。
前回のエントリと同ネタで引き続き。
ふと思い出したのだが、紫野の兼業主婦の原型イメージは「行商のおばちゃん」とか「内職のおばちゃん」とか「お店のおばちゃん」とか「農家のおばちゃん」だったりする。常磐線に乗ってくる行商のおばちゃんを「かっけー」と尊敬のまなざしで見上げつつ育ったんで、そこが原点なのだろうと思う。成長過程で、あんまりセレブな専業主婦を見る機会がなかったのは確かだ。ほとんど記憶にない。紫野が育った環境では、自身の母親を含めて、食うための仕事をしないですむ大人の女はそんなに多くなかったのだ。ちなみに、借金作って逃げ出すような大人の男というのは、散見されていた。 きっと「(女が)働くのは当たり前」という感覚も、そこから来るんだろう。経済的に男に依存するのはリスキーだという感じ方も同じところからか。 なにしろ、父ちゃんがどうしようもないから母ちゃんががんばってる家というのが珍しくない光景だったのだ。(さすがに中学校以降には、学区が広くなったので、そうでない層ともいっしょになったけれども。)
なので、いまいち、兼業主婦のイメージと「キラキラ」とか「嫉妬/羨望(される方)」とが結びつかない。そこが最初に感じた違和感の原因かもしれない。 (続き…)
http://anond.hatelabo.jp/20090605174936
増田でのやりとりを読んでしまった。
で、「(母親がいっしょに居てあげられないと)子どもがかわいそう」ネタは、心の奥も表層もめいいっぱい掻き乱してくれてしまうので、かなりキツイ。うぇぇ。ヘタレな自分が情けない。エゴを通すなら貫けよ>自分。
保育園に行くと熱をだしたりするのって、保育園に限らず、集団生活をはじめるときには、ありがちなネタだったりすると思う。復帰一年目だと、なにかと出社できない同僚はめずらしくない。でも普通以上に、保育園の生活と相性の悪いお子さんだったのだろうと読めるわけで。 いずれまた、集団生活を始めたときに、雑菌、ばい菌、病原菌の洗礼を受けるのだろうけど「今はまだ早い」と判断した、ということなんだろう、と。
増田さんの選択に、自分が揺れてるのは、増田さんのせいじゃなくて、自分のせいなわけで、紫野が勝手に凹んでいるだけ。そんなこたぁ分かっているけど、ちょっと、泣きたい、と、久しぶりに思った。 (続き…)
今朝は葉っぱがキラキラしてますね。
AERAさん、働くママをいじめないでください - kobeni_08の日記
あ〜、うん。元記事をまだ読んでないので、かなり保留なのだけれど、タイトルの「働くママ」は偉いですか?」と思ったことは、けっこう何度もあるなぁ、ということで。
紫野自身が「働くママ」であるので、自分自身にとってもイタい話題ではあるのだが、たしかに「イタいママ」はいる。身近にある例を見ていると、「ママ礼賛」というよりは、使える権利は骨の髄までしゃぶりまくる…というように見えるんだけれども。
まぁ、いいのよ。産休も育休も時短勤務も、それが許されない時代を乗り越えて、今、たとえ名目だけでも許される権利になっているわけなんだから、使わないでどーするっ!と紫野も思う。でも、使い方を考えてくれよー、みたいな気分はあるんだよね。たぶん、きっと、それは、その権利を得るためにがんばった世代の感傷なんだと思うけれどね。
たとえば、女性参政権だってそうだよね。 日本で女性が国政に参加する権利を得たのは1945年。それからまだ100年すら経っていないのに、この権利は当たり前になり、まるで太古からある生得の権利見たいに扱われ、(一部には)見向きもされず、そして、たいした感慨もなく選挙権は行使されることなく打ち捨てられていることが多くなった(ま、男女に限らず、だけども)。
で、似たような形で母性保護の権利も、今、まさに、「当たり前」になる途中なんだとしたら、それもまたアリ、かもしれないなぁ、と、思い直したりもするのだった。
※ 本筋と関係ないが、たしかに、子育てはゲロまみれの糞まみれで、あんまり即物的にリアルなもんで、それまでのリアルが土台から吹き飛んだ!という経験は、今、思えば、かなり、今の自分に影響しているんだよな…。 その大変さを訴えたいっ、という衝動は、個人的にも、もんのすごく分かる。
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